9条どうでしょう

9条どうでしょう

9条どうでしょう


図書館で借りたら、漢字変換ミスの箇所にペンで線が引いてあった。

まえがきにかえて
「虎の尾アフォーダンス」と「脱臼性の言葉」


本書には四人の書き手による憲法論が収録されている。
憲法について論じるというのはかなり気鬱な仕事である。
...
私は二つ条件を思いついた。


第一は何よりもまず...「国民全員を敵に回すリスク」を取ることのできる書き手であること。

...この憲法論の執筆陣は、「メディアからしばらく干されても構わない」という覚悟を持つことが必要だ。...「別に定収があるので、メディアから干されても明日のご飯には困らない」というお気楽な書き手と「もともと『わりと干され気味』だったので、今さら失うものはない」という根性のすわった書き手にお集り願うことにした。

それを口にすると「多くの人が怒りだすことが確実であることば」が脳裏に浮かぶと、それを口にせずにはいられない人々...本書には「虎の尾がそこにあると思わず踏みたくなる」方々だけが選択的に集まっていしまった。


...第二の条件は、「思想の力」よりもむしろ「言葉の力」を信じていることである。
...独創は思考ではなく言語に宿るというのは私の経験的確信である。
私たちがいま直面している出口の見えにくい思想的状況の檻から逃れ出るために必要なのは、政治史や外交史についての博識でもなく、「政治的に正しいこと」を述べ続ける綱領的一貫性でもなく、世界平和への誠実な祈念でも、憂国の至情でもない。この硬直したスキームの鉄格子の向こうに抜けられるような流動的な言葉である。
私はそれを「脱臼性の言葉」と呼びたいと思う。
...
そのような解体と蘇生を繰り返すような言葉を使いこなすことのできる書き手がこの本には必要だ。
「虎の尾アフォーダンス」傾向のある「脱臼性の言葉」の使い手。
これがこの憲法論のために求められる書き手の二つの条件である。